にゃんこ先生の人間観察

にゃんこ先生の人間に対する厳しくて愛情深い眼差しを綴っています

自分で決めたことやればいいのに

にゃんこ先生=私はずっと寝ている。うつら、うつら。

Pはある偉い方(猫族からしてみれば、偉いとかない。人間は猫族に値段や稀少種で我らを判断する。低俗だね)から、これからの人生をきいたそうだ。

偉い先生:「カルマが多いので、何をやっても無駄。瞑想だけしなさい。瞑想したからよくなるとは思えない」

Pはそれを信じて禅病になった。

偉い先生を信じ切っていたPが自業自得。これでPは目が覚めたらしい。

 

偉い先生の何が偉いんか?と聞きたくなる。超能力および霊能者だという。

自分の人生を自分で決めること。偉い先生のアドバイスのどこに真実味があるのか。

Pの人生に対してどのような洞察と愛と責任があるというのか。そんなものなどないから、薄っぺらい言葉でアドバイスをする。

偉い先生はほかの人にも「瞑想をしなさい」と連発していたらしい。

偉い先生は、本当にそう視えたのかもしれない。だが、その程度なのだ。

不安要素しか言えない偉い先生の限界をPは理解したようだ。

よかった、よかった。

にゃんこ先生は少しは安心したのだった。

 

Pはそれでも時々不安がつのるようだ。

喝!

自分で決めて、自分で責任をとっていくことだ人生の目的であり使命!

それをベースとして仕事がある。

どんな仕事でも良し。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

冷静に見極めよう:「真理」を語っている人の人間性

「スピリチュアル」な組織やグループの教祖、師(グル)、リーダーはどのような人間なのか?

にゃんこ先生は考えたのが次のごとく。

 

どのような思想や志向をもっているのか?

自己反省と学びの姿勢があるのか?

金儲け主義か?

以上から、チェックすべきポイントを書きます。

以下の1つでも当てはまっていれば、師、リーダーとして尊敬できないと思う。

 

1.ある地域や国に対して偏見をもっている

  教祖や師またはリーダ―が生まれたり、宗教が生じたり、伝わったりした地域を特別視する。

2.教祖、師、リーダ―への絶対的な帰依。洗脳ではないか?

3.疑問や反対意見に対して、「あなたはまだそのレベルに達していない」、「徳がないからそのような疑問がわく」と回答することが多い。

相手が本当に何を問うているのかを考えずに、反対意見を聞こうとしない

4.「あなたは前世では私の弟子だった」という。その詳細な提示がないでまかせ。

5.教祖、師、リーダーである恩をきせる。恩をきせる前に、もっと人々に仕えたほうがいいのではないか。

6.天使や聖人が背後についており、一般の人々よりはるかに霊的な次元が高い。そうならば、どのような霊性があるのかをて全く語らないのはなぜか。

7.全く修行等をしていない。パフォーマンスとして人々の前に出る時にだけ、カリスマ性を演じている。

8.布施や献金が徳を積むことだと語る

9.ファンを作って、自己満足に浸っているので、まっとうな批判をした人に対して、「悪霊にとりつかれている」という。

10.自分たちは正しく、ほかは間違っているという独断と偏見。

11.感情的で怒りやすく、弟子にあたりちらす。こういう人が霊性が高いといえるのか。

12.自分の思想や政治的な志向(右翼、国粋主義等)を信仰と関係がないのに、押し付けてくる。

他にもいろいろ共通点があるが、書き出したらきりがないのでやめよう。

 

本当に猫族にはいないタイプばかりだ。Pがいろいろと疑惑をもったのがわかる。

これにあてはまらない師なりリーダーならば、少しは信じることができるかもしれない。しかし、師への絶対的服従は避けるほうがよい。

師は決してあなたの人生の責任をとってくれない。ということを、肝に銘じておこう。

じっくりと観察して、この人たちの人間性をみてみてはどうか。

 

にゃんこ先生より

 

スピリチュアル:高額は疑え!

にゃんこ先生がPの様々な生活状況から次のことがわかった。

宗教、自己開発セミナーをも含めてスピリチュアルなイベントや体験旅行で高額なものは全て、スピリチュアルからかけ離れた「物質欲」の権化である。以下はその例である。

人間の物欲から生じた言い訳

  • 高額な料金=ご利益が高い、高額な料金が払えるあなたは選ばれた人、金持ちを対象にするうたい文句
  • 多額なお布施をすれば、徳が積める
  • 金持ちが教祖や師のスポンサーである:それがどうした?その金持ちの霊性について言及しないのはなぜか
  • 身銭を切ってお布施や献金をすれば、それは大きな徳になる=教祖や師の生活費になり、彼らが贅沢になれる
  • 高額な「神聖」な物品販売:カルマがなくなる、ご利益がある。カルマは行いで償うのではないか?

こうしたことを言われて洗脳されて、自分の生活費を投げ捨ててお布施や献金をするようになる。誰が生活費を稼ぎ、人生を支えてくれるのか?

なぜ、人間Pはこういうことがわからなかったのか?

その対処法としては、「いかがわしい金儲けをするビジネスマン」として、教祖や師、主催者を見直すこと。そして冷徹に関係を断つことが最良である。

彼らのカルマは彼らが贖う!

 

そして高額なイベントやセミナーにつきものが、これまた高額なお札、護符、マントラ、腕輪などの「神聖」な物品。

おもしろいことに、彼らは物質世界は低俗で霊界高いという。なぜ、物質である「神聖」な物を売るのか?

「神聖」なものを身につけることで、あらゆる悪霊から守られるらしい。自己の精神や意志力の冒涜ではないか?

そして、買い求める側も「神聖」なものを身に着けたり、高額なマントラを唱えることで、神に愛される人、神聖な人になりたいという欲望があるのだ。

 

主催者は正直に言ったらどうだろうか。

スピリチュアルで稼いでいます。そのための物品ですと。

 

我々猫はこうした人間たちの欲望が理解できぬ。人間よりはるかに崇高かも・・・。

Pの部屋にはこういったものがごちゃごちゃあった。

今は、資料や物品などの全てのものが段ボール箱に入れられて封印してある。

 

私、にゃんこ先生はやっと安心した。

やっとまともな人間になったと・・・。

 

 

 

 

 

スピリチュアル その2:Pの習性

 Pの習性について捉えたい

まず、Pはほかの人間よりはよく考え、理想を追い求めるタイプだといえる。

Pは他者からみたら、かなり幸せそうにみられている。

だが、Pは現状、すなわち、与えられている日常生活を思う存分楽しむという考えはない。「どこかに何かがある」という探求がスピリチュアルに向かったのだ。

 

我々猫族は「今」しか見えないので、Pの習性を理解するのには時間がかかった。

Pは睡眠、寝食を忘れて、何かに取りつかれたように没頭するが、長続きしない。結局、Pは健康を害し、部屋は散らかり放題、昼夜逆転の生活を送ることになった。そして、瞑想に集中しすぎて、禅病となり、死ぬような経験をする。

その死ぬような経験のなかで、マントラを唱えたりや師匠の名前を呼ぶが効き目なしだった。ただ、大宇宙を創造した神(大霊等、どのように呼んでもよい)を静かに感じた時に、身体の苦しさのなかでかすかな平静心が宿ったことは自覚していたようだ。

自助努力で回復する。

私は苦しんでいるPの傍らにずっといたので、苦しい状況はよくわかっている。

Pはその禅病の後遺症とでもいうべき、頭痛をかかえてもなお、スピリチュアルの探求を10日間はやめなかった。

禅病を解決する方法を知りたかったようだが、一見正当にみえるグループも、「スピリチュアル」の亡者になり果てていることが分かる。自分たちこそは正しいという亡者だ。

禅病になって苦しんだせいか、見極めの嗅覚が鋭敏になったようだ。

我々猫は、嗅覚と聴覚そして本能ですぐに察知できるのだが・・・。Pが哀れだ。

こうしたいきさつで、前回述べたように、Pはもとの「地味」な瞑想にもどったのだ。「地味」というのは、霊や霊界の説明、叡智や真理、ヒーリングや物質化現象、他宗教の分析や批判といったものがないということだ。例え、それらのことをすべて熟知していても、公表していないことだ。それらを「売り物」にしないことだ。

 

Pを評価するならば、これまでの霊性レベルからはずっと上昇したと思う。つまり、そういった組織やグループの本質を捉えられるようになったからだ。さらにPに望むのは、自己の精神と意志をしっかりもって、前に進むことだ。彼らが頻繁に使う言葉、「カルマ」こそが、「スピリチュアル」の名のもとで「金儲け」や偽善をする彼らへの因果応報となる。

 

我々猫族も哀しい事実がある。

純血種、雑種と分類され、また人間の都合で新しい品種が改良されていることだ。そして、我々の食も、人間が食べられないものが安価に出回っている。そのせいで、病気になる我ら猫はなんと多いことか・・・。我ら猫を食い物にする企業利益。

人間とは困った種族である・・・。

 

 

 

 

 

 

 

スピリチュアルその1:Pの決断

今日は、なんか涼しい。空は水色で雲がゆっくりとながれている。カタツムリのような速度。

ペットのP(人間)に調達させた爪とぎ型ネコナベは心地よく、うたたねをするのには最適だ。小さなビニールボールが肉球にあたってひんやりとしている。

 

Pは長年、スピリチュアルというものに取りつかれていたようだ。

取りつかれているというのは、私(にゃんこ先生、猫)の偏見かもしれない。

スピリチュアルを探求してきたと言い換えよう。

山のようにスピリチュアル関係の本が部屋にある。

そして、お金と時間をかけて国内外に出かけている。

 

しかし、最近、Pはスピリチュアルをあれこれと探求しても、迷走するばかりで苦しくなり、現実逃避になってしまうことに気がついたようだ。

そして、前から行っていた瞑想だけにしぼり、他は一切かかわらないように決断した。

すでに、スピリチュアル系の仕事はやめている。Pによると仕事を辞めた理由は

「お客のマイナスエネルギーを受けるし、負の話は聞きたくない。お客は自分に都合の良い話がほしいだけ。スピリチュアル系の会社で働くと金儲けだけが目的で全くスピリチュアルが実行されない」という。

Pは仕事をやめてからも、まだスピリチュアルを探求していたが、すべて気に入らない。むしろ、長く関わっていると、そのグループや組織の「金儲け主義」が見えてくる。スピリチュアルをビジネスとして金儲けをする物質主義的で利己的なものが見えてきたようだ。せっせとスピリチュアルなグループや組織に貢いで、「金儲け」に貢献していたことを恥じていた。

そして、瞑想だけにして、真の生き方を探求するのではなく、実践したいそうだ。

Pは、真理や叡智に関しては自分で探求し、他者に頼らないと決めたという。

ただし、Pの内心は、「金儲け主義」であったにしろ、それを見抜かず、師匠に忠誠を誓って信仰の道を真面目に歩んでいる人たちと別れるのは辛い。そして、Pに対して師匠から「カルマが悪いから離れたのだ」などということも言われることが目に見えている。

「金儲け主義だ、教えは低レベルの内容だ」と戦線布告したい気持ちもあるが、利己的で物質欲にまみれた者たちを相手にすべきでなく、自分がすべき責任をすることを第一目標にすると決めたようだ。

 

私、にゃんこ先生からPを見れば、問題はPにある。

Pの精神力と意志力の弱さが、そうしたスピリチュアルな場所を見つけるのだ。だが、そうした体験を積むことによって、Pはスピリチュアル・ビジネスの内実を知ったわけだし、スピリチュアルな多様なことを信じても、Pにとっては結果的に良くなかったので、自業自得だと思う。

まあ、Pが心を整理して出直せたのだからよかったと思う。

 

人間は複雑怪奇だ・・・。

 

にゃんこ先生

 

 

 

 

 

 

にゃんこ先生自己紹介

にゃんこ先生と呼ばれる私は、孤児である。

母は、自由気ままに生きているたくましい猫で、私の兄弟は4匹。

母は、私たちを柵がある空き地の角に生み落として、育てていた。

兄弟の2匹は母にくわえられて、空き地の雑草が生い茂るなかに保護されたのだが、私と真っ白な兄弟は秋の日差しの強い日の下に残されたままだった。

母猫は戻ってこなかった・・・。

捨てられたのだ・・・。

最初、柵越しから人間が私たちの写真をとっていたが、私たちがぐったりしているのを見ると、人間は来なくなった。

そして真っ白な兄弟猫は、空腹と脱水症状で鳴き叫ぶようになった。

その鳴き声は悲痛でかなり遠くまで響きわたった思う。

 

ある日、一人の人間が柵越しにのぞきこんでいた。

柵を飛び越えてこちらにきたいようだが、柵は高くよじ登らないと無理なようだった。

私たちの目の前に大きな箱があった。

その人は、空き地に隣接している一軒家の庭に入って、花の苗が植えられた花壇の上にかぶせてあった猫の糞防止用の四角い網の箱だった。その箱を柵越しにおろしていたのだった。

私の兄はもはや鳴き声もだせず、口から泡をふいていた。

私は箱のふちによろよろと乗ったのだ。

必死じゃない。なんだこれ?そんな気持ちだった。

すっと箱が宙に浮き、私は人間の手の平の中にいた。

 

その日から私は人間を飼うことになったのだ。

飼い主の私は、その人間の名前をPと名付けた。

私が飼い主となった日の翌日、真っ白な兄の姿は空き地にはなかった。

カラスか人間に始末されたのだろう。

その後、Pは空き地の近くのカフェでコーヒーを飲んでいた時、私の母がきれいな毛並みの若いオスと一緒にカフェの庭を横切ったのを見たそうだ。私の兄弟の姿はなかったという。

Pは私にとってどうでもよい話をしたがる。

私はPの飼い主として、母なしでここまで立派に生きているのだから。

 

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