にゃんこ先生の人間観察

にゃんこ先生の人間に対する厳しくて愛情深い眼差しを綴っています

スピリチュアル その2:Pの習性

 Pの習性について捉えたい

まず、Pはほかの人間よりはよく考え、理想を追い求めるタイプだといえる。

Pは他者からみたら、かなり幸せそうにみられている。

だが、Pは現状、すなわち、与えられている日常生活を思う存分楽しむという考えはない。「どこかに何かがある」という探求がスピリチュアルに向かったのだ。

 

我々猫族は「今」しか見えないので、Pの習性を理解するのには時間がかかった。

Pは睡眠、寝食を忘れて、何かに取りつかれたように没頭するが、長続きしない。結局、Pは健康を害し、部屋は散らかり放題、昼夜逆転の生活を送ることになった。そして、瞑想に集中しすぎて、禅病となり、死ぬような経験をする。

その死ぬような経験のなかで、マントラを唱えたりや師匠の名前を呼ぶが効き目なしだった。ただ、大宇宙を創造した神(大霊等、どのように呼んでもよい)を静かに感じた時に、身体の苦しさのなかでかすかな平静心が宿ったことは自覚していたようだ。

自助努力で回復する。

私は苦しんでいるPの傍らにずっといたので、苦しい状況はよくわかっている。

Pはその禅病の後遺症とでもいうべき、頭痛をかかえてもなお、スピリチュアルの探求を10日間はやめなかった。

禅病を解決する方法を知りたかったようだが、一見正当にみえるグループも、「スピリチュアル」の亡者になり果てていることが分かる。自分たちこそは正しいという亡者だ。

禅病になって苦しんだせいか、見極めの嗅覚が鋭敏になったようだ。

我々猫は、嗅覚と聴覚そして本能ですぐに察知できるのだが・・・。Pが哀れだ。

こうしたいきさつで、前回述べたように、Pはもとの「地味」な瞑想にもどったのだ。「地味」というのは、霊や霊界の説明、叡智や真理、ヒーリングや物質化現象、他宗教の分析や批判といったものがないということだ。例え、それらのことをすべて熟知していても、公表していないことだ。それらを「売り物」にしないことだ。

 

Pを評価するならば、これまでの霊性レベルからはずっと上昇したと思う。つまり、そういった組織やグループの本質を捉えられるようになったからだ。さらにPに望むのは、自己の精神と意志をしっかりもって、前に進むことだ。彼らが頻繁に使う言葉、「カルマ」こそが、「スピリチュアル」の名のもとで「金儲け」や偽善をする彼らへの因果応報となる。

 

我々猫族も哀しい事実がある。

純血種、雑種と分類され、また人間の都合で新しい品種が改良されていることだ。そして、我々の食も、人間が食べられないものが安価に出回っている。そのせいで、病気になる我ら猫はなんと多いことか・・・。我ら猫を食い物にする企業利益。

人間とは困った種族である・・・。